時論自論

かみなりがゴロゴロ鳴ると押入れの中で泣いていた子が大人になった日記

訴訟代理権がなくなる日

司法書士に簡易裁判所の訴訟代理権が認められたとき、その理由の1つとして、「弁護士は安い簡易裁判所の事件を受けたがらない」というのがありました。



しかし、今、弁護士は余っていますので、簡易裁判所の安い事件でもドンドン引き受けています。



その結果、簡易裁判所でも、司法書士が代理人に付く事件よりも、弁護士が代理人に付く事件の方が圧倒的に多くなりました。



別な理由として、「弁護士は都市部に集中していて、田舎になると1人もいない街もあるが、その点、司法書士は全国津々浦々に事務所があるので、司法アクセスに資する。」というものがありました。



あくまでも群馬の例ですが、私より後に、この15~16年で何人増えたか?を調べると、何となく見えてくると思います。



 1位  前橋市  +36人

 2位  高崎市  +24人

 3位  太田市  +18人

 4位  桐生市  +14人

 5位  伊勢崎市 +9人

 6位  渋川市   +8人

 7位  沼田市   +6人

 8位  富岡市   +4人

 8位  安中市   +4人

10位  藤岡市   +3人

10位  みどり市  +3人

12位  館林市   +2人



法務局の出張所が廃止された藤岡市と館林市はほとんど増えていません、というか、亡くなったり引退した方を含めて考えれば、司法書士の人数自体はかなり減っています。



夫婦や親子でやっている合同事務所もありますので、司法書士の頭数ではなく、事務所の数で見れば、もっと減っているということになるはずです。



すると、「司法書士は全国津々浦々に・・・・」という根拠も早晩崩れることになりそうです。



簡易裁判所というところは、以前から、弁護士でなくても、親子であったり、会社の担当者であったりすれば、「許可」を得ることで訴訟代理人になれましたし、主張を戦わせるよりも早期の和解を旨とするところでもありますので、ならば司法書士ならOKなのでは?ということでしたが、大きな根拠の2つが崩れつつある現状を鑑みると、もう司法書士に簡易裁判所の訴訟代理権は不要である・・・・と言われる日が来るのも意外と早い時期のことなのかもしれませんし、現実に日弁連はそういう主張をしています。




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匿名希望

電話が鳴って出ると、「あのー、ちょっと聞きたいんですけどー」から始まって、最後まで自分の名前を言わない、言いたがらない人がときどきいます。



別に電話で質問されて、答えたからといって、「では相談料を下さい」なんて言いませんし、そもそも相談料自体もらったことがありませんが、やっぱり、お名前くらいは聞かせていただきたい、というのが本音です。



こんな小さな事務所ですから、絶対に誰かに聞いて電話を掛けてくるはずです。



そして、その誰かは、私の知っている人・私を知っている人のはずです。



どこの誰だかさっぱり分からない人からお電話をいただいても、そのときの話の内容というのは記憶に残らないので、「先日お電話した者なんですけどー、前回の話しの続きなんですけどー」と言われても、はて?何のことだったかな?となってしまいます。



名前を言いたくない・知られたくないということであれば、適当に思いついた仮名でもいいですので、お願いします。




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少しだけ楽しい時間の過ごし方

ときどき、ふと、天体望遠鏡が欲しくなるときがあります。



簡単に言えば、望遠鏡は筒が長くなれば長くなるほど倍率を上げて見ることができるようになり、筒が太くなれば太くなるほど暗い星を見ることができるようになります。



倍率は大きければ大きいほど良い・・・・と思われがちですが、高倍率にして大きく見えるのは、月、火星、木星、土星くらいの「近い星」だけで、もっと遠くにある星はどれだけ倍率を上げても「点」にしか見えません。倍率を上げてどうにかなるような距離ではないからです。



すると、今度は、筒の太いものがエラいのではないか・・・・?という考え方になりますが、レンズが一回り大きくなるだけで値段は一気に何倍も高くなり、とても自分に手が届くようなシロモノではない、という現実を突き付けられることになります。



素人には素人向けのお手ごろ価格の商品があり、実際にはそれで事足りてしまうのですが、いろいろ見て回っているうちに、もう少し!もう少し!と良いものを探すようになり、気づくと現実離れした値段の商品を見ていて、また現実に引き戻される、ということの繰り返しです。



今の私には天体望遠鏡を買えるお金なんてありません。



もし買えるようになったら・・・・と思いながら、品定めをしているだけですが、それもそれなりに楽しいものです。








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118才

テーマとしては相続です。



現行民法では、配偶者は生きていれば常に相続人となり、先に死んでいれば無関係です。



子や孫(直系卑属)は第1順位で相続人となりますが、子や孫がいなければ第2順位として直系尊属(父母、祖父母)の順番です。



父は死んでいるけれども母が生きていれば、相続人は母で確定し、祖父母は無関係です。



父も母も死んでいるが、母方の祖母は生きているという場合、相続人は母方の祖母で確定し、兄弟姉妹は相続人にはなりません。



そのため、独身で子どものいない人が死ぬと、兄弟が相続人となったことを証明するためには、「父の死亡」、「母の死亡」、「父方の祖父&祖母の死亡」、「母方の祖父&祖母の死亡」まで証明しないとならない他、他に兄弟がいないことの証明として「父について出生~死亡まで」、「母についても出生~死亡まで」の戸籍が必要となり、戸籍を集めるだけで大変な思いをします。



ここで本題です。



ある人の戸籍を調べていったところ、父方の祖母について戸籍上「死亡」の二文字が出てきません。



誕生日から計算すると、現在118才になるはずで、とても生きているとは思えません。



戸籍の付票を取り寄せると、「住所不詳」としか書いてありません。



どこかで孤独死してしまったのか?何か事件に巻き込まれたのか?



最後の住所を特定することができれば、その地区の区長や民生委員さんに、「最後に確認できたのはいつか?」を調べていただくことができれば、「いついつから行方不明です。もう行方不明になって7年以上経ってます。失踪宣告をして下さい。」と家庭裁判所に申立てをして、認めてもらえれば、晴れて兄弟姉妹は財産を相続できる、ということになります。



が、そのためには、最後の住所を特定することが必要でしょう。



今は、改正原戸籍の付票を請求してみて、そこに何らかの情報が記載されていることを祈るのみ。



近くのお寺に問い合わせて、過去帳を調べていただいて、そこに「いつ、誰を埋葬した」と書いてあれば、それでもOKですが、死亡届が出ていない人をお寺が埋葬してくれるのか・・・・?よく分かりません。






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法定相続情報証明制度

昨日は日曜日でしたが、午後から前橋で研修会でした。



というのも、この5月29日から、新たに「法定相続情報証明制度」というのがスタートすることが決まっているためで、

司法書士会に限らず、関係する他士業(弁護士会、税理士会、行政書士会、社会保険労務士会、土地家屋調査士会、海事代理士会)でもこの制度の研修会が行われているはずですし、金融機関を集めた研修会も行われているようです。



知らないわけにはいかない制度のため、参加者150人という超満員でした。



ですので、この「法定相続情報証明制度」に関する情報は、あちこちで書かれており、わざわざ私が書くまでのこともないのですが、簡単にまとめておきます。



これまで、相続が発生して預貯金の解約手続きをするとき、全ての金融機関に対して、「亡くなった人の出生~死亡までの戸除籍」「法定相続人全員の戸籍・印鑑証明書・住民票」を提出しなければならず、それがとても面倒で費用もバカにならないものでした。



今回、この制度によって、「法定相続人は誰である」という証明書を法務局に発行(無料)してもらうことができ、たとえば提出先が5つあれば、証明書を5通発行してもらって、5ケ所の金融機関にその証明書を提出するだけで済む、という触れ込みです。



とても便利な制度のように思えますが、具体的な手順を追っていくと、それほどでもないかな?とも感じます。



まず、「亡くなった方の出生~死亡までの戸除籍」「法定相続人の戸籍・住民票」は、法務局は「提出されたものをチェックするだけ」で、集めるのはこれまでどおり自分でやらないといけません。(もちろん、専門家に頼んでもOKですが、それにはお金が発生します。)



次に、「相続関係一覧図」という図を作成して、集めた戸籍類と一緒に提出します。



登記官が戸籍のチェックをして、間違いがなければ、提出した「相続関係一覧図」をスキャナーで読み取り、それに証明文言を加えたものがプリントウトされる、というシステムです。



この証明書は「亡くなった人ごと」に作成されることになっていますので、「父親が亡くなった。何もしないうちに母親も亡くなった。」という場合、「父親についての証明書」が1通、「母親についての証明書」が1通、という形になります。



ですので、解約しなければならない預金や、名義変更しなければならない契約がたくさんあるご家庭にとっては、「その都度、戸籍を集めなくて良い」ことになりますので、便利な制度でしょうが、今は金融機関でも戸籍類の原本は返してもらえることが多いので、ビックリするほど便利になる、というわけではなさそうです。



注意点として、「あくまでも亡くなったAさんの法定相続権を持っている人は誰と誰ですよ」ということの証明でしかありませんので、これまでどおり「遺産分割協議書」は別途、作成を要することになりますし、相続放棄をした人がいれば、別途、家庭裁判所の申述受理証明書も必要になります。



つまり、遺産分割協議書に署名・押印すべき人は誰か?預金の払い戻し依頼書に署名・押印すべき人は誰か?を証明するだけ、ということになります。



また、日本に戸籍のない人(外国人)は使えません。



これまで、土地建物の相続登記は最後の最後、ということが多かったのですが、司法書士が土地・建物の相続登記を申請するのと「同時」に、この法定相続情報証明制度を利用することができます。



すると、相続登記を依頼して、登記完了と同時に、金融機関へ提出する証明書も交付を受けられる、という点で、使い方によってはメリットもある、という話しですが、さて、どこまで普及するでしょうか。




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16年を振り返り

私が司法書士試験に合格したのは平成11年の試験でした。



それから1年間だけという約束で、給料をいただきながら実務の勉強をさせていただき(非常にありがたいことでした)、司法書士登録をしたのが平成13年4月です。



今は平成29年5月ですので、司法書士になって自分で仕事をするようになってから、もう16年も経ったということになります。



昨今、合格しても開業しない人が増えているそうで、それは懸命な判断だと思いますが、今でも群馬では、「合格者にいかに開業させるか?」なんてことを言っています。



自分が成功したのだから、合格者もみんな開業すれば成功するはず・・・・とでも考えているのでしょうか?



本人の人生なのですから、本人に任せるのが一番です。



今でもよく覚えています。



私が開業して1ケ月目の売上は9万円でした。



2ケ月目の売上も9万円、3ケ月目の売上も9万円でした。



しかも、これらの売上は、銀行の融資係にいた同期が、私のために「他の司法書士に出さずに貯め込んで取っておいてくれた」仕事でした。



もちろん、その間、あちこちへと顔を出しましたが、顔を出したところからオファーをいただけたことは1回もありませんでした。



正確には、いくつかの不動産業者からオファーをいただきましたが、そのどれもが「報酬の1割をバックする」とか、「所有権移転で1万円、担保設定があれば2万円をバックする」とか、そういう違法なオファーばかりでした。



もちろん、全てお断りをしてきましたが、そういう違法な取引をして事務所を維持している司法書士が1人、2人ではなく何人もいるというのが現実だと知りました。



あれから16年経ちましたが、仕事の量は全く増えていません。



16年経っても仕事は全く増えていないのですから、同じ人間が同じやり方をしている以上、この先も仕事が増えることはないはずで、もう私には伸び代がありません。



つい2~3年前に開業した人たちが、どんどん忙しくなっていくのを横目に見ながら、(いったい、彼らと私と、何がそんなに違うんだろう?)と考えますが、分かりません。



司法書士の仕事は、お客さんから来るのではなく、お客さんを抱えている他業種の人たちから来ることが大半ですので、その人たちと仲良くできれば良い結果につながるんだろうな・・・・とは思いますが、お酒も飲めないし、ゴルフもしませんので、難しいのが現実です。



高原へ星を見に行ったり、ミニバイクで出掛けたりするのが好きな他業種の人たちがたくさんいれば、私にも追い風が吹いてくれるのかもしれませんが、そういうのが好きな人ってあまり聞きません。



今の私にできることは、「とにかく相手の話しを聞くことに徹してみよう」くらいでしょうか。



人間、自分の話していることをちゃんと聞いてくれている(ように見える)人には、少なくとも悪い印象は持たないはずです。



俺が!俺が!と、どこにでも顔を出してきて、前へ前へと出ていく人もいますが、端から見ていて、そういう人はウザったいですし、たぶんそう思うのは私だけではないはず・・・・。



初めて会って、一言二言話しをしたただけなのに、すぐにFace bookの友達申請をできちゃう人や、Face bookで友達が100人、200人・・・・な人とは、全く反りが合いません。



幸い、裁判の仕事でご縁のあったお客さんというのは、裁判が決着した後になっても、相続とか何やらでお声かけいただいたり、お歳暮を持ってきてくれたりすることが多いので、それだけが救いです。



裁判の仕事では、徹底的にお客さんの話しを聞きますし、より良い解決ができるよう私も必死に努力しますし、そんな中で少しでも私の人となりを理解していただけたのだろうと思えるからです。








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バイク、降ります。

調子に乗って大型二輪の免許まで取りましたが、結局、大型バイクには乗らないまま、バイクを降りることにしました。



当時は大型バイクの加速が羨ましかったのですが、小さいバイクよりも曲がりにくく、止まりにくいということでもあります。



数年前、一緒に走りに行った人が、下りの左カーブの手前で、自分の目の前で転倒して、ライダーがアルファルトに叩き付けられて10メートル以上転がっていくところ、バイクだけが20メートルくらいアスファルトの上を滑走していくところを見て以来、簡単に100km/h以上出てしまうバイクという乗り物が怖くなりました。



そして、そのときの記憶は今も新鮮なまま、です。



教習所の指導員が、「バイクはスピードを出さないと面白くないんだよね。」と言っていました。



職業上、どうなの?とも思いますが、それはバイクに乗る人の素直な本音だと思います。



信号の少ない田舎の山道に行くと、バイクがたくさんいるのは、気持ち良くスピードを出せるから、だと思います。



もう1つ、バイクで高速道路を走ることが非常に退屈になってしまった、ということもあります。



周りの仲間はみんな大型バイクで、高速道路を飛ばす人ばかりになってしまいました。



車も同じですが、排気量に任せて、まっすぐな道をぶっ飛ばしても、私は全く面白くありません。



車もバイクも、道は右に左にカーブしているからこそ走って面白い、というのが私の持論で、それには大きな車、大きなバイクは不要です。



運転すること自体を楽しむならば、車もバイクも軽いのに越したことはありません。



そんなところで、今回、思い切ってバイクを降りることにしました。



といっても、125ccの原付は「足」として残しておくのですが。








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GTV

新聞のテレビ欄を見ていたら、群馬テレビが朝から晩まで番組を放送していることを知ってビックリです。



小学校から帰って来て、再放送のアニメ番組が始まるまで、ガチャガチャとあちこちチャンネルを回してみるわけですが、いつも群馬テレビは「白黒ダルマ」が映っているだけで、音はピ~~~~~でした。



やっと番組が始まったと思えば、グライダーの静止画像+BGMだったり、農産物市況だったり。



ちゃんと番組をやっている埼玉や神奈川、千葉が羨ましかったものです。




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AMラジオ

ラジオ番組、とくにAM放送のラジオ番組は1人の人が10年、20年と同じ番組を続けたりします。



大沢悠里や吉田照美はいったい何年間、帯番組を勤めていたのでしょうか・・・・私が小学生だった頃にはもう放送していました。



音楽主体のFMラジオと違って、AMラジオは語りが主体です。



リスナーに嫌悪感を抱かせてしまう人ならば絶対に番組は続かないでしょう。



もし、大沢悠里や吉田照美が司法書士をやれば、大成功すると思います。



ラジオの良いところは、「ながら仕事」ができるところですが、もう1つ、ギャーギャーうるさくないところも挙げられます。



テレビを付けても、(この番組って放送する意味あるのかな?)と首を傾げてしまうような番組が多く、ニュースと天気予報だけ見れば満足です。



話は変わりますが、父はよくテレビのナイター中継を見ていましたが、ときどき音を消して見ていました。



解説者が喋り過ぎでうるさい、野球の試合が見たいだけだ・・・・そんなことを言ってました。



うるさいのが嫌いというところは似ているのかもしれません。












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スリーダイヤモンド

算数の世界では、マイナス×マイナス=プラスということになっていますが、ダメなニッサン(誇大広告)とダメなミツビシ(ご存知のとおり)がくっついてプラスになるでしょうか?



1986年=昭和61年という年をピックアップしてみます。



1986年はミツビシの初代デボネアが生産を終了した年です。







そして1986年はトヨタが2代目ソアラの販売を開始した年でもあります。バブル期に売れに売れた当時の最先端の車です。







2代目ソアラがデビューする年まで、こんなシーラカンスみたいな車を作り続けていたというのですから、驚くより他にありません。



どう見ても「同じ年に作られた車」には見えませんね。



「変わらないこと」にも意味はありますが、変わらないとダメなことの方が多いと思います。



では、私はどこをどう変えなければいけないのか・・・・?



自分で考えるのは意外と難しいです。








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