時論自論

かみなりがゴロゴロ鳴ると押入れの中で泣いていた子が大人になった日記

電話から見えるもの

今から約20年前、就職して最初の研修が「電話応対」でした。



「お電話ありがとうございます。○○の○○でございます。」

「いつもお世話さまでございます。」

「少々、お待ち下さいませ。」



初めての相手でも、とにかく仕事の電話は全て「いつもお世話になっております」だと教わりました。



新人はまともに仕事ができないので、とにかく一番に電話を取ることが大事な仕事。



朝からずーっと「いつもお世話さまでございます」を繰り返していると、友達から掛かってきた電話にも、つい「お世話さまでございます」と言ってしまうこともありました。



最も大切な電話のマナーとして、「電話を掛けるときは必ず本人が掛ける」というのがあります。



電話というのは、こっちの都合で相手を電話口に呼び出す行為です。



たとえ課長でも部長でも社長でも、電話は自分で直接掛けるのがマナーです。



ですが、今でも、ときどきあります。



電話に出ると、女性事務員の声で、「○○さんですか?こちらは○○です。少々お待ち下さい。」と言って待たされることが。



誰とは書きませんが、ある弁護士の事務所からの電話はこのパターンです。



はっきり言って非常に気分が悪いです。



そういう電話の掛け方をして「オレの方がすごいんだぞ!」と相手に印象づけないと気が済まないのか、自分の方が上であることを意識しないと気が済まない「小さいヤツ」なのか、いずれにしても「会社で働いたことがない」のだと思います。



サラリーマンがイヤになって司法書士をしている私ですが、それでも「大人の社会の常識」は全て会社で教わりました。ありがたいことで、そのこと自体は辞めた会社に感謝しています。



なにもサラリーマンの世界の常識が社会の常識である、とまで言うつもりはありませんが、誰が考えても、そういう電話の掛け方は「非常識な人間」だと思われても仕方ないでしょう。



例えるならば、自分は車の運転席から降りてこないで、窓を開けて、人に道を教えてもらうようなものです。

まずは「馬から下りろ!」です。



似たような応対として、本人がいるのに、事務員に応対させる人。



これも非常に気分が悪いです。



電話口から本人が事務員に指示している声が聞こえてきたりすることもあります。



知り合いの司法書士の事務所に電話を掛けたときに、この対応をされ、以来、その人に対する見方が180度変わり、大嫌いになりました(笑)。



 電話を掛けるときは必ず自分で掛けましょう。



 電話がかかってきたら、手が空いているときは必ず自分で応対しましょう。



 手が空かないときは、折り返しの電話を自分で掛けましょう。



優秀だとか、仕事が出来るとか、それ以前の問題で、その人の人間性そのものに疑問を持たれてしまう、最低限のマナーです。
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少額訴訟

ときどき、「少額訴訟を起こしたい」というご相談を受けます。



この「少額訴訟」を誤解されている方がとても多いようです。



確かに、少額訴訟は「60万円まで」の事件ですので、「請求金額が少額」という面もありますが、他の訴訟とは違って、少額訴訟特有の制約もあります。



<制約1>

60万円までの「金銭の支払い」を求める請求に限られます。

明け渡しや引き渡しを求めることはできません。



<制約2>

1年に10回までしか少額訴訟を起こすことはできません。



<制約3>

証拠はすぐに取り調べ可能なもの(=契約書、領収書など)に限られます。

相手の預金口座に代金を振り込んだ記録が残っているはずだ、という主張を立証するためには、裁判所に対して「調査嘱託の申立て」を行って、裁判所から銀行に調査依頼が行って、銀行が回答書を提出して・・・・といった流れになりますが、そういうことはできません。



<制約4>

裁判官の判断で、分割払い、利息のカット、などの判決が言い渡されることもあります。

分割払いを命じる判決ほどイヤなものはありません。

判決で分割払いとされた以上、一気に全額について強制執行することができません。

その間に、財産を隠されてしまう恐れもありますし、勤務先の会社を辞めてしまう恐れもあります。

預金を下ろされてしまえば預金に対する差押えは無意味になりますし、勤務先を辞められてしまえば給与に対する差押えは無意味になります。



少額訴訟を選んでも、印紙代や切手代などの「実費」は安くなりませんので、あえて少額訴訟を選ぶメリットはあまりないように思います。


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買い食い

「買い食い」をしたことがない人はいますか?



「買い食い」という言葉の正しい意味は、「子どもが、親に買ってもらったものを食べるのではなく、自分でお菓子などを買って食べること」だそうですが、一般的には、「学校帰りに駄菓子屋に寄ってお菓子などを買って食べる行為」のことを意味しています。



学校にお金を持って来てはいけない、という決まりがありましたので、マジメに決まりを守っていれば、一度家に帰ることなく、買い食いをすることはできませんが、やっぱり決まりは破ってこそ面白いもの。



夏休み期間中、学校のプールに通って過ごした人は多いと思います。



暑いからプールに行く、友達と会えるからプールに行く、プールに何回通わなけえばならないというノルマがあるから仕方なしに行く、等々、いろいろな理由があったと思いますが、私の場合は、「決まりごとを破る」ためにプールに通っていたようなものでした。



<決まりごと、その1>

 夏休み期間中のプールには歩いていかなければいけない



私たちはいつも学校の手前の公民館まで自転車に乗っていき、公民館に自転車を置いていました。



みんなが暑い中をテクテク歩いているその脇を自転車で颯爽と走り抜けるのは、何とも気持ちが良いものでした。



渋滞している車列の隣りを自転車やバイクでスーっとすり抜けていくのと同じ快感ですね。



<決まりごと、その2>

 プールにはお金を持って来てはいけない



私たちはプールの後、駄菓子屋に寄って、60円でラムネを買って飲んでいました。



プールから出れば暑いです。その暑い中、シュワシュワーっとラムネを飲み干すのは、何とも気持ちが良いものでした。



みんな、お金を持って来ていないので、飲みたくても飲めない中、自分たちだけは決まりごとを破って美味しい思いをできるのは、実に爽快なものです。





しかし、そうやって決まりごとを破って楽しいことをしていると、必ずそれを先生に告げ口する女子がいるもので、公民館の自転車置き場は先生にチェックされるようになってしまいました。



そういうマジメ大好き女子、告げ口大好き女子って、今でもいるんでしょうか?



決まりを守らない私たちが悪いのですが、自分が何か被害を受けたわけでもないのに、ご丁寧に告げ口する子は嫌われちゃいますよ(笑)




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結婚と同性愛 など

人が人を好きになることに理由なんかありません。



既婚者を好きになってはいけない、という法律がないように、男性が男性を、女性が女性を好きになってはいけない、という法律もありません。



その意味では同性愛も「その人の個性」と言えるでしょう。



ですが、「結婚」についてはどうでしょうか?



法律では「結婚」そのものを定義していませんが、講学上、結婚とは「男女の性的結合」「男女の生活共同体」であるとされています。

単に「男女」とされていていますので、同性愛者であっても男であり、女である以上は、結婚すること自体は問題ありません。



結婚の本質とは、そのようなものであり、どこを見ても「愛」という言葉は見当たりませんので、「親が死んだら自分1人では生きていけないから自分を養ってくれる人を求めて結婚する」ことも問題ありませんし、「死んだら相手の財産は全部私のものになるから、という目的で結婚する」ことも問題ありません。



では、どうして「男女の」生活共同体なのでしょうか?



これについての明確な記述は見当たりません。



答えがない問題については自分で考えて答えを探すしかありませんが、おそらく「繁殖=子どもをつくるという自然の摂理」を抜きに考えることはできないでしょう。男と男の間には子は生まれず、女と女の間にも子は生まれず、男と女の間でしか子は生まれません。子どもの生まれない社会はいずれ滅びますので、法律も当然に結婚した男女の間には、子どもが生まれることを想定していることになるはずです。



条文には書いてありませんが、最高裁判決では、「性交の拒絶は離婚原因である」という判断を示していますので、結婚した男女の間には子どもが生まれることを想定している、そして夫婦の性交は結婚を維持していく上で重要な要素であると想定している、ことは間違いありません。



また、先ほど、「愛」は男女の結婚の要素ではない、と書きましたが、不貞行為=結婚している男女が相手以外の異性と性交を行うこと、は明文で離婚原因と規定していることを考えると、結婚という男女の生活共同体には、「何らかの信頼関係」が要素になっている、と考えることもできるでしょう。



不貞行為をして外に子どもが生まれた、ではなく、不貞行為そのものを離婚原因としているのは、パートナーが第三者と性交することで、生活共同体を維持していく上での本源的な男女間の信頼関係が崩壊するからでしょう。



ここで話しを最初に戻しますが、では、結婚したパートナーが同性愛者だった場合はどうなのでしょう?



同性愛についての知識はほとんどありませんが、結婚して子どものいる同性愛者は多いと言われているようで、同性愛者であることをカモフラージュするために異性と結婚し、異性との間に子どもをつくっているのか、それとも、同性愛者ではなく「両」性愛者なのか、分かりませんが、現実にそういう人は多いようです。



最初から相手が同性愛者あるいは両性愛者だと分かっていて、それを承知で結婚したのであれば、何も問題はないでしょう。



ですが、同性愛者あるいは両性愛者であることを隠されて、何も知らずに結婚した場合はどうでしょう?



結婚してみて、やたらと妻が女友達の家に遊びに行き、頻繁にお泊りしてくることを知り、妻から「私は同性愛者です」と告白された場合、どうしますか?



きちんと家事はこなしてくれるし、子育てもしてくれているし、自分を毛嫌いしている感じもないので、妻の個性として尊重しよう、と考える人もいるかもしれません。



自分との性交を拒否するのは妻が同性愛者であったのが理由だった、自分との間に子どもをつくろうとしなかったのは妻が同性愛者であったのが理由だった、同性愛者である妻はこれからも自分との性交を拒否し続け、自分との間に子どもをつくることを拒否し続けるのか、ということを知った場合、それでも男女の生活共同体としての結婚は維持しなければならないものでしょうか?



上に考察したように、法は結婚した男女の間には子が生まれることを想定しており、男性が男性と、女性が女性と性交渉することを想定していませんので、そのようなイレギュラーな事態に対しては、まさに「個々の考え方」によるしかないでしょう。



その上で、結婚を維持する、離婚をする、どちらかの判断に至っても、それを非難することはできないと思います。



同性愛の問題とは離れますが、夫が日曜日になると出掛けて行くので、浮気しているのかと思って尾行したら、夫には女装癖があることが分かった、なんていうこともあるようです。



女装癖は個人の性癖、個性であり、男女の生活共同体としての結婚には何の影響も及ぼさない、と考える人もいるでしょうし、女装をして楽しんでいる夫なんて生理的に受け付けられない、と考える人もいるでしょう。



夫の車のトランクから女性の下着が山のように出てきて、問い詰めたところ、ブルセラショップで女子高生の使用済み下着を買い集めていたことを白状した、なんていう場合もあるかもしれません。



それを夫の性癖、個性として認め、受け入れることができる人もいるかもしれませんし、そんな夫は生理的に受け付けないという人もいるかもしれません。



夫が痴漢で逮捕されて実名報道されてしまった、なんていう場合はどうでしょう?



夫が殺人で逮捕されて実名報道されてしまった、なんていう場合はどうでしょう?



それらは、男女の生活共同体としての結婚を維持していく上で、影響があることは間違いありませんが、その影響は我慢できるレベルなのか、我慢できないレベルなのか、それも「個々の判断」によるもので、それくらいのことには耐えて結婚を維持すべきだという考え方の人もいるかもしれませんし、これから死ぬまでの人生をそんな人と一緒に過ごすことはできないという考え方の人もいるでしょう。



イレギュラーな出来事、想定外の事態が発生した場合、結婚を維持するのか、離婚をするのか、は、まさに「本人が決めること」で、第三者が専門家ぶって判断するようなことではないように思えてなりません。
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パンク修理

土曜日の夜、いつものように、いつものコースを自転車で走っていたら、後輪からゴツゴツという感覚が伝わってきたので、すぐに自転車を降りました。



また、パンクです。



3ケ月前にもパンクしました。



たぶん金属を踏んでしまったんだと思います。



亡き父の実家は自転車屋だったそうで、子どもの頃には、パンクすると父が修理してくれていました。

父が自転車屋の仕事を手伝っていた、という話しは聞いたことがないので、おそらく「門前の小僧・・・・」だったのでしょう。



私も父がパンク修理をしている姿を何度も見てきたので、覚えようとしたわけではありませんが、やはり、パンク修理の方法は覚えてしまっています。



水を張った洗面器を用意して、チューブを引っ張り出して、空気を入れて、パンクした箇所を特定してたら、その部分を軽石で少し擦って、ゴムノリを塗って、貼り付けて、上から石でトントン叩いて、少し経ったら、もう一度、洗面器に浸けて空気漏れしていないことを確認して・・・・そんな手順だったはず。



今度の休みにやってみます。



自分でできそうなことは、何でも一度は自分でやってみないと気が済まない性分です。



門前の小僧と言えば、高校2年~3年にかけて、母方の葬式が3回ありました。



何度となく同じお経を聞いているうちに、出だしはこんなことを言う、ここまできたらもう終わりが近い、そんなことを覚えてしまいました。
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カタログ燃費と実燃費

カタログ上の燃費ですが、かつては60km/hで延々と走行した場合の燃費が書かれていたことをご存知の方は多いと思います。



しかし、実際には、停止→発進→加速→減速→停止を繰り返す、いわゆる「街乗り」が大半で、カタログ燃費との間に倍近い差があり、10モード、10・15モードへと燃費の基準が変更され、現在ではjc08モードという基準によって表示することとなっています。



それでもカタログ燃費と実燃費との間の差は如何ともしがたいため、今は実燃費をデジタル表示する車が多くなりました。



我が家のコンパクトカーの場合、カタログ燃費は18km/リットル程度ですが、実燃費は13km/リットル程度です。



ガソリンが高い今、燃費は車を選ぶ上での重要な要素です。



これがバイクの話しになると、一転して、燃費なんか気にしない、という人が多数を占めるようになります。

彼らの言い分は「趣味の乗り物だから燃費なんか気にしない」ということのようですが、そもそも、日本国内では時速100kmを超えて走ることができる道路は存在しませんので、技術の向上は、時速300kmを目指すのではなく、違う方向に目を向けるべきでしょう。



昨日、友人と2人で300km弱のツーリングに行ってきました。

高速道路は法定速度を下回る速度で、高速を下りてからも法定速度を下回る速度で信号の無い山道を淡々と走って来ましたが、それでもカタログ燃費の31km/リットルには及ばず、26km/リットルでした。

400ccの4気筒のバイクとしては、今の基準では十分すぎるほどの低燃費でしょう。







ですが、最近の原付~250クラスでは、実燃費がカタログ燃費を上回るような車種も登場しているようです。

ただでさえ、バイクのガソリンタンクは容量が少なく、燃料計もあてにならない車種が多いのですから、カタログ燃費を実燃費に近づけて下さい、とメーカーにお願いしておきます。

今のバイクは自動車と同じ電子制御燃料噴射ですので、正確な燃費計を開発することはできないのでしょうか。



私の場合、満タンから確実に300kmは走ってくれないと、バイク選びから落選です。

友人のハーレーやゼファーは200km走ったら給油しないと不安になるそうです。

CB400を超えるバイクは出てこないのかな。
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神宮球場へ行こう

ふと思い立ちました。



20年ぶりに神宮球場へ大学野球を観戦に行ってみよう、と。



学生時代は「お祭りとしての早慶戦」にしか興味がありませんでしたが、早慶戦だけが大学野球ではありません。



秋季リーグが始まると、毎週、土・日に神宮球場で試合が行われます。



「男の子ができたら、小さいうちに、1度連れて行こう」と思っていましたが、残念ながら独身で子どももいませんので、ならば1人で、もう1度行ってみよう、と。(小学生までは無料ですので)



もちろん、応援席に入って現役の学生と一緒になって・・・・ということは考えていません。そんなパワーはもうないです(笑)。



早慶戦以外ならば、基本的に観客席はガラガラです。



野球の試合を楽しんで、応援席からパワーをもらって、内野席なら1100円、外野席なら700円なのですから「お得」です。



http://www.youtube.com/watch?v=BRZW418qxnc



せっかくですので、慶応側のスタンドにも入ってみたいところです。



1日券ですので、もしかしたら午前中に早稲田の試合、午後に慶応の試合を観戦することもできるのかも?



本当は、六大学全部の試合、応援の様子も見てみたいところですが、さすがに週末ごとに神宮球場まで通う気力はありません。
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抹消登記と相続登記

住宅ローンを借りるとき、ほとんどの場合、土地と建物に抵当権を設定し、登記簿に抵当権設定登記をすることになります。



建売住宅ではなく、先にローンで土地を購入して、後から家を新築する場合、土地を購入した時点で、土地に抵当権設定登記をしますが、この登録免許税は高いです。

1000万円のローンであれば4万円、2000万円のローンであれば8万円、3000万円のローンであれば12万円です。

抵当権設定登記の前提として、所有権移転登記をする(通常は同時に、連続して申請します)必要がありますが、評価額1000万円の土地であれば、所有権移転登記の登録免許税は15万円、2000万円の土地であれば30万円もかかります。

これらにプラスして司法書士の報酬が発生しますので、ローンを組んで土地を買って家を新築する、という場合、20万円~30万円の登記費用が発生するもの、と考える必要があります。



かなり高額な出費ですが、みなさん、夢のマイホームのために頑張って捻出します。



通常、住宅ローンが完済になるのは、20年後~30年後です。



ローンが完済になると、抵当権はお役御免となり、抹消登記をすることになります。

抹消登記にも登録免許税は発生しますが、土地1筆につき1000円、建物1棟につき1000円ですので、こちらはぐっとお安くなっています。

もちろん司法書士の報酬も、所有権移転登記や抵当権移転登記の2分の1~3分の1くらいです。



ローンが完済になると、金融機関から、その旨の連絡があり、抵当権の抹消登記をすることになりますが、ときどき、これを抹消しないまま放置してしまうケースもあるようです。



抹消登記をしないまま時間だけが過ぎていくうちに、土地・建物の所有者に相続が発生してしまうこともあります。



土地・建物について、相続を原因とする所有権移転登記が済ませてあれば、簡単に抹消できますが、これを済ませていない場合、土地・建物について所有権移転登記を済ませてからでなければ、抵当権の抹消登記をすることができません。



理由は、抵当権の抹消登記の申請は、「所有権登記名義人」と「抵当権登記名義人」が「共同」で申請するものであり、申請人は申請書(あるいは委任状)に「記名押印」する必要がありますが、既に亡くなっている人が申請書や委任状に記名押印するということは、ありえないからです。



もちろん、登記申請は「形式審査」ですので、登記官には、その時点で、土地・建物の所有者が生きているのか、死んでいるのか、は分りません。



だったら、余分な費用をかけて所有権移転登記なんかしないで、そのまま抹消してくれよ、ということになるのが世の常ですが、それはできません。



それをやってしまったために、ウソの登記申請をした=公正証書原本不実記載の罪に問われることになりますし、実際に、それをやってしまったために、懲戒処分を受けて、司法書士の仕事をすることができなくなってしまった人はいます。



お客さんから「なんだ、あいつは!」と思われてしまうとしても、できないことはできない、ならぬことはならぬ、のです。



先ほど、登記簿からは、登記官には、土地・建物の所有者が生きているのか、死んでいるのか、は分りません、と書きました。ならば、死んでいる人をあたかも生きているように装って、死んだ人の署名押印を偽造したなされた違法な登記だということが、どうして分ってしまうのでしょう?



答えは簡単で、建物については、いずれ取り壊す、あるいは朽ち果てるということがあっても、土地が消えてなくなってしまうということは物理的にありえず、いつか、必ず、相続を原因とする所有権移転登記がなされるからです。



登記簿謄本を見ていただければ分りますが、登記申請をした日付、その登記の原因となる日付が記載されています。



例えば、登記簿上の所有者Aさんは平成15年10月10日に亡くなったとします。

亡くなる5年前の、平成10年10月10日に住宅ローンは完済してあります。



Aさんを生きているものと偽って、平成20年10月10日に、Aさんの署名押印を偽造して、抵当権の抹消登記を申請すると、登記簿には以下のように記載されます。



   1番抵当権抹消

   受付 平成20年10月10日受付第10000号

   原因 平成10年10月10日弁済



その後、土地について、誰かが相続して、相続を原因とする所有権移転登記を申請すると、相続の日付は「Aさんの死亡の日」が入りますが、Aさんの死亡の日については戸籍謄本を添付しますので、ウソをつくことが絶対にできません。登記簿には以下のように記載されます。



   1番所有権移転

   受付 平成25年10月10日受付第5000号

   原因 平成15年10月10日相続



この登記ができあがった時点で、先の抵当権抹消登記のウソがバレます。



つまり、土地・建物の所有者であったAさんは、平成15年10月10日に死んでいた、ということが戸籍から判明し、登記簿に記入されることで、「おや?抵当権の抹消登記は平成20年10月10日にAさんの名前で申請されているぞ?平成15年10月10日の時点でAさんは既に死んでいたのに、どうして、その5年後の平成20年10月10日に、Aさんが申請人となって抵当権の抹消登記をすることができるんだ?」ということになります。



ウソ=公正証書原本不実記載が判明した平成25年10月10日の時点で、ウソの登記を申請した人が生きていれば、逮捕されます。



いつか、必ず、相続を原因とする所有権移転登記は申請するものです。

当座の出費を惜しんで、後で逮捕されてしまっては、バカバカしいですよね。



なお、Aさんは生きている内にローンを完済したんだけれども、まだ、誰がどの不動産を相続するのか決まっていない、ということもあるでしょう。



その場合は、相続を原因とする所有権移転登記をしないまま、抵当権抹消登記をすることができますが、その場合でも、Aさんは既に死んでいますので、Aさんの署名押印で抵当権抹消登記をすることはできないため、Aさんの相続人から、Aさんについての戸籍書類を付けて、申請することになります。



この方法であれば100%適法です。



ですが、せっかくAさんの戸籍を集めるのですから、誰が相続するのか、決まっているのであれば、一緒に相続を原因とした所有権移転登記をしておく方が良いはずです。




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変るもの 変らないもの

高校野球を見ていて、ずいぶんと応援歌が変ったんだなぁ~と感じました。



昔ながらのザ・定番は影を潜め、歌謡曲やアニメソングが多いようです。



学生時代、何回か早慶戦を見に行きました。



私は早稲田の学生でしたので、慶応側のスタンドから押し寄せてくるチャンスパターンメドレーのカッコ良さにいつも圧倒されていました。



反対側のスタンドに座っているからよく聞こえる、というのもあると思いますが、それでも神宮球場を後にした総武線の電車の中で、耳に残っているのは、いつも慶応のチャンスパターンメドレーで、一緒に見に行った友達と、突撃のテーマやコールKEIOを口ずさみながら新宿で飲んだりしました。



YOUTUBEにUPされているものを見てみましたが、やっぱり、突撃のテーマ→コールKEIO→ダッシュKEIOと続く流れは、テンポも良く、カッコイイです。



http://www.youtube.com/watch?v=ZBM5jl9MHWs



私には、早稲田のコンバットマーチよりも、慶応のダッシュKEIOの方が軽快でカッコ良く聞こえます。



テンポの軽快さという点で慶応の方が上ですね。



話しが反れてしまいましたが、YOUTUBEを見ていて、「変らないことのカッコ良さ」を再認識しました。



考えてみると、お爺ちゃんも、お父さんも、子どもも、世代を超えて歌い継がれる歌って、カッケェ~(あまちゃん風)です。



最近の卒業式では「仰げば尊し」は歌われなくなったようですが、ある日、母校の運動会を見に行ったら、校歌が新しくなっていた・・・・なんてことがあったらショックです。




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祝!優勝!前橋育英!

やってくれましたね!



甲子園での全6試合の内、5試合が1点差ゲームという競り合いで、強豪と言われる樟南、横浜、常総学院に競り勝っての優勝ですから、実力はホンモノです。



私の出身校である太田高校は1回も甲子園に出場したことがありませんが、在学中、かつて「伝説のスラッガー」と呼ばれた阿久沢毅(桐生高校出身)さんが、体育の先生として在籍していました。



私は小さかったので全く記憶になかったのですが、高校野球ファンならば知らない人はいない、と言われるほどの選手だったようで、試しに「阿久沢」と検索窓に入力すると「毅」と出てくるほどです。



しかし、私の記憶にある阿久沢先生は、体育館の隣の体育教官室で、いつも先輩の体育の先生方にからかわれ、いじめられ、遊ばれていた姿しかありません(笑)。



そんな阿久沢先生でしたが、高校の球技大会のとき、教員チーム対3年生チームの試合があり、バッターボックスに入った阿久沢先生の飛ばす打球の「もの凄さ」だけは今でもよく覚えています。



とても高校の体育の先生の打球とは思えない、それはそれはもの凄い打球でした。




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